革新県政の会・革新市政の会

2006年9月4日

生きているうちに原爆症と認めて!(原爆症認定集団訴訟・名古屋地裁で結審 原告被爆者が切実な訴え)

9月4日、名古屋地裁大法廷で原爆症認定集団訴訟裁判が開かれました。
この日は結審で、原告の被爆者2人が最終陳述を行いました。訴訟支援の人たちなど200人が傍聴につめかけました。(写真は、
入廷前に集会を開く原告と支援の人たち)

最終弁論に立った原告の中村昭子さんは「原爆症の苦しさに加えて、被爆後に血便や毛が抜けた私の姿を見て『疫痢だ、隔離しないとうつる』
と近所の子どもたちまでが私を避けました。家の前を口に布を当てて通られるなど、偏見と差別に耐えられませんでした」と苦しみを訴えました。

 

原爆投下直後に広島市内に軍の命令で入った甲斐昭さんは「息のある人まで、死体と一緒に台車に乗せて片付けたのを、
今も夢に見てうなされる」と嗚咽して語りました。傍聴席では多くの人が涙を流していました。

 

 閉廷後開いた報告会で、原告代表が「提訴して3年4ヶ月の結審でしたが、私にとっては61年間の『結審』でした。
支援の皆さんのおかげです」とのべました。

 

〔原爆症認定集団訴〕 原爆症認定申請の却下処分の取り消しを求めた裁判。17都道府県の169人が、
12地方裁判所に提訴。被爆手帳所持者266、598名の内、「原爆症」と認定され医療特別手当を受給している認定被爆者は2、
232人しかいません。